
ボタンのかけ違い
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ぼたんのかけ違い。
あなたのボタンとわたしのボタン穴をくっつけると
なんだかいっつも、かけ違い。
あなたとあの人のボタンとボタン穴だって、
ほら、ほら、やっぱり、かけ違い。
そんなかけ違いばっかりで
さて、さて、どうするのでしょうか。
さて、さて、みんな幸せなのでしょうか。
私のボタン、
あなたのボタン穴。
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ここからの文は取り留めもなくなるけど。
私の頭の中を洗い流したくて。
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人はみんな違うでしょ。
その差は本来、楽しいもの。
でも一方が自分が絶対的に正しいと言い始めると
もう片方がだめだということになってしまって
その差は、あっと言う間に
楽しくなくなる。
自分を正しいと信じきり始めること、
きっとそれって恐い事なんだと思う。
”自信を持つ”とも”違う”ニュアンス。
絶対的に自己を認めてる姿って、
逆に弱さを隠してるようにしか見えないっていうか。
他を受け入れられない弱さにしか見えないというか。
歳を重ねるとそうなりがちなのかもね。
その土台の上に自分が乗っているから、
その土台を崩されたらたまったもんじゃないもんね。
たまにいるじゃん、
正論しか言わない人。
正論を言ってる人って
その人の行動を見てしまう。
一瞬は、その言葉の魔法で、私も酔う。
でも、次の行動で、あれ?と気づく。
その言動と行動の差のおかしいさに。
正論のおそろしいところは、
正論だから、
それを知ってるひとは、
すでに自分はできていると思っているところ。
(悔しいけど、
正論だから私はそこから学ばなければいけないのだけれど)
人の直した方がいいところって、
面白いほど、隣の人は気づいてて。
でも、当の本人はちっとも気づいてなくて。
それが原因で
あなたの悩みの半分は解決できるはずなのにと思うほど。
でも、上下関係とかややこしいことで
隣の人は、ちっともその本人に忠告できなくて。
ちっともその状況は変わらないってことない?
(本人にさらりと空気のように
忠告できる人ってかっこいいよね)
そーゆー人見ると、
私の欠点なんだ〜〜〜!!
私の気がついてないところどこだ〜〜!
って、探したくなる。
きっと隣の人は気がついているから。
少なからず私は、
隣の人が、忠告しやすい雰囲気でいようと思う。
逆に、
人との差を受け入れられる人って、
その人としゃべっていなくとも、
その人の近くにいるだけで
安心感を抱ける。
本当に、器なんだね。
大人になるって難しい。
大人になるって、試練だ。
とりあず、そんなこんなことをぼーっと考えていた
今日このごろです。ということです。