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気ままに綴る日々

組踊

学生時代、学芸会でさえ、主人公を務めた経験がない私が、
この歳にして、2時間ものの劇の主人公を担った。

しかも、劇は劇でも、組踊という沖縄の伝統的な劇だ。
全国版で言えば、歌舞伎のようなものである。

▲ネットより引用

 

伊是名島では、各集落別でその劇を豊年祭の日に披露する。
私の住む字仲田では、豊年祭は毎年行われるが、組踊は2年に一度、公演される。

 

「はなちゃんも、組踊参加してね。」
誘いはとても簡単だった。
いつもお世話になっている青年会だ、私に断る権利はない。笑
それに、組踊にでた友人の話では女性はちょい役と聞いていたから
軽く、二つ返事でいいですよと引き受けた。

 

それから数日後
役者決めするから公民館に集まってと言われ、青年会が集合した。
この日参加した女性は私一人だった。

机の上に台本が積まれている。
ふと、タイトルに目をやる。

「姉妹敵討」
なぜ、タイトルが姉妹?ん、、なにかおかしい。

 

「じゃ、過去のビデオ見ながら役を決めよう。」

ビデオを横目で見ながら、ペラペラと台本をめくる。
どうやら、女は3人必要らしい。
ペラペラと台本をめくる。
おかしい、この亀松という女性の人物の台詞、だれよりも多いじゃないか。

「えっ?この亀さん、めっちゃ台詞多くないです?」

あ、気づいちゃった?かのような視線が集まる。
そこで知ったのだ、今年の劇は女が主役だと。
しかも、今年の演目は、30年前に公演されたきっり、
一度も演じられてきてない演目だというではないか。

「と、いうことで、今年の劇は姉妹が主人公です。
はなちゃん、お姉さん役(さっきの亀さん)できる?」
と聞かれた。いや、これはさすがに即答はきでない。

頼む方も頼む方で大役なぶん、自主性を重視したようで強くは言ってこないが、
目線や態度で、はなちゃんやれ~~~という圧を送ってくる(笑
ちょっと考えます。と言って、他の役が大方決まり、
その日の会議は終わりそのまま飲み会になった。

飲みの会は、いつも通りの飲みの会だったが、
時折さっきの圧を送ってくる。
酔いも少し回ってきたせいか、
その圧に押されたのか、
考えたすえ、いや、半ば勢いで、
「私が亀松やります。」
と答えてしまった。

 

やりますと答え、台本を受け取ったのが6月。
そのまま、なにも練習が始まらない7月。
え?と焦りを覚えた7月中旬。
さすがにまずいと、前回同じ役を演じた方に
指導してもらいに足を運び自主練した7月後半。
本格的に全体で練習が始まったのは、なんと、8月中旬。
そう、公演のたった1ヶ月半前である。

8月中旬、全体での練習は始まったが、
その時私ができることは自主練で進められた1シーン分の台詞だけ。

 

台詞と簡単に言うが、組踊の台詞は読めなければ意味もわからない。
すべて方言で、しかもリズムにのっているからだ。
もらった台本の台詞と発音する台詞は違うようで、
台本にどんどん赤ペンでカナを打つ。

 

▲前半の台詞全部私w

 

私の役は、長ゼリフが2箇所あるし、踊りもある。
先の見えなさと、重圧で苦しみ始めた、8月後半。

 

このころからだ、私が悪夢をみはじめたのは。
エレベーターの底が抜ける夢、
自殺現場を目撃する夢、
蜂に追われる夢、
飛行機に乗り遅れる夢、というふうに私は追い詰められていった。

 

笑顔は消えた。

台本はあるものの、指導してくれる人によって、
こーゆべきだ、あーゆべきだという意見がちがったりして、
一度覚えた台詞も2転3転する。
それが一番、いやだった。私は、何度キレてしまっただろうか。。。w

島の青年会の人たちは、
違うと指摘されてもはははーと笑ってなおすだけ。
ちっともキレやしない。
島で生きていくためには、流すということはとても重要な要素だとさえ思った。
あとで聞けばみなその道を通ってきてて、
おっ、今年はこいつがきれてるぞと思っていたらしい笑

 

練習は、この1ヶ月半、ほぼ、毎日。夜7時から11時半ごろまで。
(実際は8時半過ぎスタートだったけどw)

 

その頃は、仕事中、売店で働いてる時に
「台詞覚えたか~がんばってね~」の応援の言葉さえ、
プレッシャーで聞くのがいやだったほどである。

練習が進むにつれ、
地方という音楽部隊も一緒に練習に混ざり始めた。

三線、お琴、笛、胡弓。
一気に現場が本格的になって、緊張感が出る。

練習風景を見に来る方も増える。
一人増えるたびに緊張して台詞がとぶ。

覚えたのにできない、自分だめだ、どうしよう。という負のループ。
このころの私のインスタはマイナス投稿が続いている。笑

できないやれないと言ってちゃ、面白くないのは自分だと
終わっては反省し、心を入れ替え、
次の日の練習では落ち込むという日々は続いた。

▲練習風景 恐怖の結膜炎が流行る前
(練習期間中、結膜炎が島で流行り、メンバーの半数が練習にこれない事態が続いたw)

▲練習後の風景 反省会という名の飲み会深夜まで続く

 

 

落ち込む日々ではあったが、
練習期間すべてがすべていやだったわけではない。

時折、感謝したくなる瞬間が訪れるのだ。

最初の自主練のとき教えてくれた方や、
地方の琴担当の方(この人も30年以上前同じ役をした方)に
台詞を教えてもらいに出かけたとき、練習が終わったあと、
決まって、組踊の思い出話を楽しそうに聞かせてくれた。

「あの時は、組踊に出る人はスターであのおじーは
すごい人気ものだったんだよ。追っかけがいたほどよ。」
「私の子どもは、組踊が大好きで、誰よりも早く練習に
いって、大人より早くセリフを覚えてたんだよ~」
「私が倒した役の人の子供が、家に帰ったら、
うちのお父さん、あの人に殺された~って泣いたんだって、かわいいね。」

と、いろんな思い出を楽しそうに話してくれた。

そんな話を聞いたあとは、こうやって歴史を積んできた組踊に
今、こうして関わらせてもらってることをありがたいと思えた。

また、落ち込んでる時、いろんな人がいろんな形で支えてくれた。
これだけ一緒に練習してるとどんな人かわかる。

へらへら笑ってるだけだと思ってた人が、実は結構人のこと見てくれてたり、
ここは、私がカバーできるように頑張りますと言ってくれたり、
おちこんだ帰り際、お疲れ様とさっとやさしく言ってくれたり、
え?もう泣きそうじゃん?笑 とマックス追い込まれてる時に泣かせてくれたり。

夜の練習だから、区長はじめいろんな方が夜食を持ってきてくれたり。

仕事中、店長をはじめ売店の人たちも
もうむりです~という愚痴を聞いてくれたり、シフトも都合つけてくれたり。

本当、いろんな形で支えてもらった。
書ききれない。本当、改めて感謝だなと思う。

▲本番一週間前、頑張りましょう!ということでおいしい肉と寿司を準備してくれた!

 

 

と、辛い辛い辛い辛い辛い感謝辛い、と、浮き沈みはげしい、練習期間。

私は、さいごのさいごまで悪夢をみた。
昼寝をしてたのだが、ある一言で起きる。
「おまえ、自分、過信するなよ。」と。
本番3日前のこと。

 

でも、時は待たない。
緊張しまくったりながら、リハーサルも終え、迎えた本番。

 

リハーサルが良かったのか、台詞がとぶほどの緊張に苛まれることなく、
大きなミスなく、無事、演じきることができた。

長台詞を間違えなかったことが嬉しかった!

▲最初のシーン。一番緊張してた

 

▲最初の衣装。この姉妹でがんばりました!
衣装も3度も衣装チェンジ!
顔もコンタクト(←これわざわざ買った笑)で厚化粧してばっちり。

▲父も見に来てくれた。(司会に一言挨拶お願いされてたし笑)

▲終わった瞬間。終わったーとついマイクがまだオンのまま言ってしまった。

 

▲練習ではちょっぴり厳しかったけど、
本番終わったあと、よかったよと涙してくれた。。感動。

 

▲みなさんで記念撮影

 

 

今は、おばーをはじめ、劇を見てくれた人から

「よかったよ~あんなにたくさん方言の台詞覚えてからすごいさ~」
「声きれいだったよ~」

とお褒めの言葉をたくさんいただいてスター気分を味わっている。

 

終わった今、移住してきて2年半の私にこんな役をやらせていただけたこと、
本当に、感謝している。

また、このメンバーでできたこともよかった。
部長はじめ、みなさんに改めて感謝。

 

小さい島の小さな集落の組踊だが、
その深さやそれにかける情熱、思い、
それを動かす人の力は、
やはりすごいエネルギーだと関わってみて改めて思った。

こんな経験、2度とないと。(←あってはならない!笑)

 

と、長い長い自己満よりな感想になったが、
組踊に出演できてよかったという報告でした!以上!

読んでくださったみなさん、ありがとうございます。


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